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「ワクチン接種者お断り」の波及

[2024.10.04]

(先ほど誤って下書きを投稿してしまってたようです。訂正いたしました。失礼いたしました)

コロナの初期の頃、全てのお店でマスク着用が必須になり、その後ワクチンが出てくると、海外渡航などでコロナワクチン接種が義務づけられただけでなく、「ワクチンを打っていない人は入店お断りです」というお店が出てきたりもしました。

最近になり、新しいワクチンの導入に伴ってワクチンの安全性に対する疑念や懸念がむしろ広まっており、歯科医院や子供教室、ヨガスタジオなどで、ワクチンを接種した人から複製されたスパイク蛋白が他人にうつり健康被害を及ぼすという説に基づき、新しいワクチン(レプリコンワクチン)接種者の入店を拒否する動きが見られるようになってきました。新型コロナがよくある感染症になってしまい、誰もが一度はかかったことがあるという状況に近づきつつある中、感染症の脅威が薄れると今度はワクチンの副作用が急に心配になってきたり、同じ「うつる」という、とりわけ日本人が忌み嫌うキーワードで別の心配が出てきたりと、正直な話なかなかのご都合主義だなとは思うわけです。

ヨガスタジオは健康のために行くものだから行って具合が悪くなったら困るという話はわかるにしても、(ワクチン接種者のスパイク蛋白が他人にうつる)シェディングという概念は従来のワクチンですでに提起されていたものであり、ヨガスタジオがシェディングという現象を懸念していたのだとしたら、みんながワクチンを打っていた時から接種者を入店禁止にしなければ筋が通りません。もしくはレプリコンワクチン以外のワクチン接種者も全員入店禁止にすべきです。レプリコンワクチンはスパイク蛋白の放出量が多そうだから、というぼんやりした説明ですが、実際に多いのかどうかがそもそも不明という問題がありますし、放出量が多ければダメで少なければいいとかそういう問題なのかということは一切説明されません。ヨガスタジオがレプリコンワクチンのみ入店禁止にしたのはにしたのは、勘繰ってしまえば以前はヨガスタジオに通うような比較的若年層がワクチンを打っていたため、接種者を入店禁止にすると誰も来れなくなる&反ワクチン派として糾弾されるので出来なかったのが、今回の定期接種は対象が高齢者であり、接種者がスタジオに来る可能性は低めという計算&特定層からのイメージアップを狙うというご都合を感じてしまいます。ヨガに通う方の中には自分の健康に不安を持っている方もいらっしゃると思いますし、シェディングの懸念について会員の方の声が大きかったということもあるのかも知れませんが、真実を突き詰めようというよりは「ワクチンの安全性が確認されるまで禁止」というふわっとした表現で、むしろ世間的には「あーヨガやっている人ってやっぱりフィーリング重視よね」と思われかねないような気がするのは私だけでしょうか。

(注:シェディングではなくレプリコンワクチンのヒトへの安全性自体についての話は長くなるため今回は割愛させていただきます。また、シェディングについてもここではあまり深掘りしません)

ヨガスタジオに限らず、色々なお店や施設がワクチン接種者の入店拒否を行うようになってきています。そうするとそのお店に行く人で、今まで特にシェディングを感じていなかった人も不安になり、さらに入店拒否のお店が増え、雲を掴むような話がだんだん真実らしくなっていくという現象が起こる可能性があります。誰が一番悪いかといえば、ワクチンの懸念にこれまできちんと答えてこなかった政府当局と感染症専門家であり、これはワクチンに限らずコロナ対策全般もそうなのですが、彼らのリスクコミュニケーションの失敗だと思います。それは彼らがメディアという怪物をうまく扱うことができなかったから、ということに尽きると思います。たとえば(政府がやったのではありませんが)YouTubeで「コロナワクチンの問題」と言っただけでアカウントがbanされるなどは、特定の人達のワクチンへの疑念をさらに高めてしまったことにより、個人的には完全に管理者の意図が裏目に出たと思います。

このように、「雲を掴むような話が広まっていって真実らしく見えるようになる」ことというのは最近本当によく見るものです。米不足も、そのうち解消すると言われていたのに多くの人が米を買いだめし、目下米が余って困っている家があるようです。精米してしまうと米はそれほど日持ちしません。この騒動は結局は供給側のトラブルや米の食品ロスにつながる可能性があります。

最近の他の例を出すと、「伊勢湾台風レベルの最強台風が関東に最接近する」というニュースがありました。各種の台風情報を時々見て天候を観察していれば、今回の台風で大きな被害はないことは接近前のある時点でかなり分かったはずなのですが、それでも当日街には人気がありませんでした。自分で一次情報を確認するよりもメディアの言うことを信じた人が多かったということです。同様に、マイコプラズマ肺炎が急増しているというニュースの翌日には、自称マイコプラズマの人が急増し、病院を受診します。

もしくは「暑い」報道。確かに今年はとても暑かったです。去年も暑かったのですが去年のことを忘れている人が結構多い気がします。メディアは「10月になってまで熱中症警戒を報道するなんて…」と言いつつ、引き続き「熱中症に注意」とか「暑い暑い」とか言い続けています。人が暑いと言っているのを聞くとこちらまで暑くなってきます。確かに今日の最高気温は高かったですが、夜になれば過ごしやすいぐらいの気温です。明らかに夏とは違うのですが、「年平均気温と比較して」メディアは今日も暑いと言い続けます。

昭和の根性主義を礼賛するつもりはありませんが、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言っていた人たちの時代は、冷房はあまり普及していませんでした。今より涼しかったとはいえ、クーラーがないのは相当暑かったはずです。「心頭滅却すれば…」という言葉は実は根性主義でもなく、ものごとの認知をポジティブに変えた方が結局は快適に過ごせるよ、ということが言いたいようにも思えるのですが、現代ではすっかり忘れ去られてしまいました。メディアの人は冷暖房完備の部屋から「暑い暑い」と報道しています。それを聞いた人の口癖も「暑い」になります。メディアはそういうことをあまり言わず気温と湿度を伝えてくれれば私はとりあえずいいのですが、お茶の間目線で視聴者の共感を呼びたいみたいです。知らんけど。

メディアは、コロナ禍以降、ある種の成功法則を持ってしまったようにみえます。とりあえず恐怖を煽っておけば(実際の被害は大したことなくても)マスコミの責任は問われない、一方で何か起きた時にマスコミが何も言っていなかったら叩かれる、という経験をコロナで得て、そこから味をしめてしまいました。みなさんの健康のために、皆さんが十分米を買えるように、ということでとりあえずオーバー気味に煽っておいて、あとでコロナの治療薬の有効性に議論が出たり、コロナ対策の問題点が色々出たり、米の供給過多で流通業者が困ったりしてもそこはマスコミの感知するところではありません。

国内のこと以外で言えば、例えばパレスチナ問題の報道のされ方などがメディアの怖さを知るいい例です。無辜のパレスチナ市民が次々と犠牲になっていく報道を見るたびに、私も胸がしめつけられそうになります。そしてパレスチナの人達は実際に犠牲になっており、それは本当に同情すべきものです。しかし、そうした胸が痛む報道のソースをたどれば、そこに色々な所の意図が働いているということもわかります。このメディアによる世論形成は先ほどの国内バージョンよりはるかに巧妙で、私たちはメディアに自身の見解を操作されているということにすら多分気づきません。

個人的には、いずれの戦争も当事国双方に責任があり、戦争をつづけようと思う限りはたとえパレスチナの市民であっても、被害者であると同時に加害者であると思っています。もし私がまだ純粋な子供だったら、青年だったら、素直にパレスチナ市民に同情し、イスラエルの横暴に怒っていたことでしょう。残念ながら順当におばさんになってしまったため、この問題の根深さを知れば知るほどどちらかに肩入れするのが難しいと感じるようになっています。

ということで、メディアが世論を操作したり、日常のあらゆることに対する判断の拠り所になってしまっているという、かつてから懸念されてきたことが現実になっているということを日々感じています。自分で判断しなくても誰かが考えてくれるから楽、でも、メディアの成功法則がみんなを本当に幸せにしているのか、というのが最近とても気になっています。

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