せん妄の恐怖
せん妄(譫妄、せんもう delirium)とは意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚・錯覚が見られるような状態。健康な人でも睡眠中に強引に覚醒されると同症状が発生する場合がある。特に集中治療室(ICU)や冠疾患集中治療室(CCU)で管理されている患者によく発生するとされる。医学用語としての具体的な定義はあるものの、あらゆる種類の錯乱状態を総称する言葉として使用されることもしばしばある。(wikipediaより)
当院に通院中の患者様が某病院に入院したのですが、入院中に(私の推測ですがおそらく上記の定義の)せん妄となり早期退院となったという話をされていました。
入院中はせん妄が顕著で病棟スタッフの手を煩わせてしまったようです。点滴を自分で抜いてしまったり夜中に大騒ぎするなどの問題行動が見られていましたが、帰宅すると嘘のように普通の人になっていました。一体何だったのでしょうか。
患者様はご高齢で症状も重篤だったことから、年齢や疾患、入院していた病棟など、いくつかのリスク要因が重なっていたようです。
退院後の患者様の話によると、2番目に移った病棟でスタッフに悪口を言われたり虐待されたりしたため、色々騒ぎ立てて早期に退院させてもらったとのこと。「死にかけて天国に行ったと思ったら地獄をみて帰ってきた」と冗談めかして言います。そもそも命が助かったからこそこういうことが言えるわけですが、冗談めかしているとはいえ本当に苦痛だったのでしょう。
それはその患者様がせん妄を起こしている時の話であり、本当はどうだったのかはよくわかりません。ただ一部の病棟スタッフの態度が本当に冷淡だったたということは患者様のご家族も感じていらっしゃったそうです。知人のケアマネさんに聞くと、このご家族に限らず、その病院に入院した他の患者様も、本当に嫌な思いをして帰ってくるということがままあるそうです。
ただしこうした声は表には出てきません。
私は昔某病院と同規模の別の救急病院で短期間仕事をしたことがあり、そうした病院のスタッフが非常に忙しく毎日業務に追われていること、そのせいもあって病院全体が殺伐としていることなどを実感したことがあります。具体的にどういう雰囲気だったかというと、
・病棟に用があっていくとスタッフ全員にガンとばされる(メンチ切られるともいう)
・医師は臨床のレベルは高いが全体に緊張感が高め
・患者さんは不便なシステムに従うことを強いられており、そこからちょっと外れた行為をすると不良患者扱いされる
・私が退職する旨を伝えるとスタッフの一人に「そうですよね、先生もこんな病院で働きたくないですもんね」と言われる。(やっぱりスタッフもそう思ってるんだ…)
まあ他にもあるのですが全部書くと色々差し障るので、大体こんな感じでした。私が勤務した病院も某病院と同様、地域の重点的な医療機関であり、他の医療機関からも頼られている存在です。そのことに関しては私もこれらの病院に日々本当に感謝しています。
救急病院は人の命を救うという非常に大きなストレスのかかる現場ですし、忙しいだけでなくしばしば患者さん側がトラブルメーカーなこともあったりとストレッサーが色々あったりします。スタッフの方のストレスマネジメントと、給与面を含めた待遇の改善は(離職率を減らすためにも)本気で取り組まないといけない課題のはずですが、それがうまくいっていれば入院患者さんの悪評はここまで出てこないでしょう。病棟スタッフは虐待まではしなかったかもしれませんが、火のない所に煙はたたないということで、おそらく患者様に対して非常に冷たい態度ではあったのではないかと思います。
勿論その態度だけでせん妄が起きたわけではないのですが、患者様のスタッフに対する不信感がせん妄をさらに悪化させてしまい、かえって手のかかる患者になってしまったとしたら、忙しいスタッフが自ら仕事を増やしているようにも見えます。
そのことは単にスタッフの手間の問題だけでなく病院の安全管理の問題でもあります。せん妄は治療の中断や疾病の悪化、転倒などの事故リスクを高めてしまいます。そんなことは私に言われるまでもないでしょうが、分かっていてもおそらく個人の意識改革ぐらいで改善できるレベルの話ではすでになくなっているのでしょう。
何が言いたいのかというと、患者さんに対するスタッフの態度の悪さは、個々のスタッフのモラルの問題もさることながら、より本質的には病院自体の抱える問題だろうということです。看護師という職業についたというだけで高い正義感や倫理観を持っていると期待してしまうのがそもそも昭和の発想であり、それはやりがい搾取につながるということを今や誰もが知っています。スタッフ個人に高いモラルを求めることだけでは解決につながりません。病棟の雰囲気の良し悪しなどは診療報酬につながらないため病院の経営的に軽視されがちかもしれませんが、人口が減少していくこれからの時代、医療のトータルで見た質的向上とそのための対策という課題が、いつかは病院の生存戦略となっていくかもしれません。私はそうなることを期待しています。
そして、この患者様が本当に虐待にあったのかどうかは当事者以外誰にもわかりません。おそらくなかったのかもしれませんが、病院という閉鎖された空間では虐待が本当にあったとしてもその証明が非常に難しく、結果として本当に虐待を受けている患者さんが実はあちこちにいるのかもしれません。病院という閉鎖空間での人権侵害の問題は最近では弁護士の倉持麟太郎さんが精神病院の問題として取り組んでいますし、他でも散発的に問題となっているものの、まだまだ明らかになっているのは氷山の一角でしょう。より注目されるべき問題の一つだと思います。
起きたことの全てがせん妄として片付けられてしまうこと、これこそがせん妄の恐怖ということで、本稿のタイトルはせん妄の恐怖としました。