アルツハイマー病 失敗の構造
※HPのトップページにブログの更新が通知されてしまうことに気づいたので修正いたしました。年末で書きだめしていますが、ブログは基本、不定期にぼちぼち書いていこうと思っています。
遅ればせながら「アルツハイマー病 失敗の構造」をやっと読みました。アルツハイマー病の新しい治療薬レカネマブが発売となった時期と重なり、タイムリーな話題でした。そしてこの本を読んで、レカネマブの効果についてもある程度推測できると思いました。
この本はアルツハイマー病の治療薬について、その開発がいかに失敗を繰り返してきたかについてを詳細に書いた本です。失敗を繰り返した根本的な理由は、疾患概念が一定しなかったから、ということです。臨床症状と病理所見との乖離はそういえば私が学生の頃から指摘されていましたが、現在に至るまでその問題が解決されたわけではなく、解決されないまま、創薬という観点からは病理学的所見に基づいた方が話がクリアになるため、とくにアミロイドカスケード仮説(これ自体は間違っているとは言い切れない)を唯一の正しい説として話を進めてしまった所がそもそものつまづきの種でした。アルツハイマーの発症機序には他にも所説あったものの、発言力を持つグループがアミロイドカスケード仮説を強力にプッシュして他の説を排除してしまったという政治的背景まで細かく書かれています。
昔、議論に弱い日本人に比べてディベートの素養があるアメリカ人はいいなあ…と思っていましたが、最近になり、ディベートに強いということが必ずしもいい結果を生まない実例をよく見るようになりました。これもその一例になるでしょう。科学的に正しいかどうかが、ディベートに強いかどうかで判断されてしまったらたまったものではありません。でも現実にそういうことは起こるようです。
ホリエモンのような科学教信者の方は、科学や医学の定説に異論を言う人をSNSで論破するのに執心されていると思いますが、実際には科学の定説も人間が決めたものであり、神ではありません。間違うことも揺らぐこともあります。医学の定説などはもっと揺らぎやすいものです。SNSでは他にも科学教信者のような人を時々見るのですが(しばしば研究職の人)、やはり日本には明確なイデオロギーとなる宗教がないからではないかと思ってしまいます。
ともあれ、アミロイドカスケード仮説に基づいた創薬がその後も発展し、レカネマブのように有効性が臨床試験で確認された薬剤も出現しました。しかしその効果は限定的なもので、効果の主眼はある程度の進行抑制ということになっています。
アルツハイマー病の場合、症状の進行の速さもさまざまで、周辺症状の出現の程度も個人差があります。「症状の進行の抑制」といった場合、同じ一人の人物を薬剤投与群と非投与群に分けることができないため、症状の進行が薬剤の投与で本当に抑制できているかどうかは「とりあえず悪くなっていない」程度の曖昧な評価になる可能性があります。臨床試験ではCDR-SBとかMMSE、ADASなどの基準で効果の有無を判定すると思います。CDR-SBスコアの改善はある程度患者さんや家族の方にとってある程度実感できるものかもしれませんが、例えばMMSEの3点程度であればほぼ実感できる効果はないと思います。
認知症の症状で大きく問題になるのはむしろ周辺症状であることも多いのです。そもそも周辺症状は「周辺」としてしまってよいのかどうか。周辺症状は評価項目として数値化しづらく(つまり臨床試験に乗りにくい)、患者さんの感情やパーソナリティの問題と片付けられてしまうこともしばしばあると思いますが、本当にそれでよいのでしょうか。抗AD薬を使って周辺症状が強くなったから抗精神病薬を使うなどは本末転倒です。真のAD薬であれば周辺症状にも効かなければおかしいのではないでしょうか。
アルツハイマーについては依然わからないことが多いのです。私はレカネマブはある程度の効果はあるかもしれないものの、ゲームチェンジャーになるほどのものではないという予測を今の所しています(間違っていたらあとで訂正します)。レカネマブが安価なものであればいいのですが、高価な薬剤です。適応が拡大すれば保険料をかなり圧迫する可能性があります。処方できる医療機関が限られているのはとてもいいことで、これが町の開業医さんも処方できるようになったら(うちも町の開業医ですが)、何でもかんでも適当に処方してしまい効果が十分に検証されないということは普通に起こると思います。
効果が限定的であるレカネマブがなぜ保険適応を承認されたのか。製薬会社のロビー活動かもしれないし、わずかな効果に小躍りする、論文が書きたい認知症専門医と能天気な政治家が強力にプッシュしたものかもしれません。現在社会保険料は上がり、若年層にはかなりの負担になっています。その保険料を使って効かない薬をだらだら使いつづけるようなことは是非しないでほしいと思います。
アルツハイマーの臨床像の多様さを説明する機序として著者が後半に書いている老化説は、個人的に非常に説得力があると思いました。これを取るならアルツハイマーの臨床像の個体差や、若年性アルツハイマーと老年期のアルツハイマーの違いは説明できると思います。Amazonレビューに「本質を突いていない」というものがありましたが、そうではなくアルツハイマーにはまだ不明な部分が多いのです。わかっていないことを分かったかのように書くのは科学者の態度ではありません。ここに書かれていることもあくまで仮説です。
著者は基礎医学の研究者でありながら臨床にも精通している方のようです。我々がよく見る、「基礎研究は素晴らしいのに臨床の知識がないため割とトンデモな医学的主張をする研究者」とは違います。だからこそ病理所見メインで病気が定義されることの問題点に最初から気づかれていたものと思います。老化説で提示されている脳のネットワーク構想をさらに広めれば他の精神疾患や機能性脳疾患の解明にも応用できるかもしれないと一瞬思いましたが、さすがにそれは空想の世界かもしれません。